さびねこあまいろ

言語化して描写したいだけ

太陽が昇り、君が世界を照らした。(あるいは、いかにして藤原丈一郎というわたしの太陽に廻り逢ってしまったのか、その一部始終)

 その日は、2022年7月13日。そして、17日。それから、8月1日。
 なにわ男子に恋に落ちたのが13日、それから16日までの4日間だけ、わたしは箱推しのなにわ担で、17日にはもう藤原丈一郎に心を決めていた。
 推すと決め、彼中心に目で追うようになってから、さらに加速度がついて日々倍増しで好きになっていき、8月1日、ついに丈一郎を自担と呼ぶことを自分に許した。ずっと、この人についていきたいって思ったから。
 その間の、自分自身の心に起きた地殻変動があまりにも自分で面白かったので、忘れないうちに、何がきっかけでどんな感情を抱いたか、細かくメモを取っていた。それらを改めて整理して、まとめることにした。あとになると記憶は上書きされてしまうので、「このときはこれを知ってて、これは知らなかった」みたいな時系列を踏まえた記録をとっておきたかった。オタクが沼にはまっていくところの自己観察日記だ。

 


 ひとつだけ前置きを。
 「自担」という単語は、ジャニオタにとって大切な言葉ではあるが、人によって使い方の軽重にかなり幅がある。「推し」くらいの意味で使う人、複数グループにそれぞれひとり自担がいる人、短い期間で移り変わる人、はたまたガチ恋、同担拒否など、それぞれに愛し方は違っていいと思うけれど、わたしは「自担」に比較的重めの定義を採用しているタイプのオタクだ。同担は大歓迎だしリア恋でもないけれど、掛け持ちはしないし、ひとりのアイドル以外には使わないし、一度決めたらめったなことで降りない。他の人やものを好きになったり、他のアイドルの現場に行ったりすることはあっても、それはあくまでファンとしてであって、担当とは別格の行為だ。
 ジャニオタにとって自担という言葉を用いる相手を選ぶのは、自分は生涯きみだけを愛すると誓い、求婚するに等しい、人生の重大な決断であると個人的には思っている。だから、丈一郎を自担と決めたら他の人はもう絶対にそう呼べない。2004年から(茶の間ファン時代を含めれば2000年から)一貫して松本潤担であり、担降りをしたことがなかった自分にとって、それはなかなかの決意だったのだけど、それでも丈一郎を選びたかった。その言葉がとてもしっくりきたし、ときめいたから。
 私にとって世界一かわいいひと。一生幸福に笑っていてほしい。ついていったら絶対に幸せにしてくれる。ずっと見守っていたい。君が笑うと世界が輝く。私の太陽。そんなひとを呼ぶためにある言葉は、ひとつしか知らなかった。
 だから私の自担は、藤原丈一郎です。

 

 

 きみを好きになる、前段階の話。
 (個人的オタク遍歴)

 

 

 2022年の夏、それはアイドル的なものに対する飢餓感が、自分の中で最大値になっている時期だった。
 2020年いっぱいで嵐が活動休止したというのもあったけれど、正直、わたしは2016-17年頃からあとは、嵐担としてはだいぶ落ち着いた気持ちで見ていて、長年の推し疲れも若干あって、最後の方は熱意というより習慣と義務感で追っている感じになっていた。
 休止発表のときには、衝撃を受けたし幾度も涙したけれど、悲しみよりもむしろ、納得と、今までもらった膨大な幸せへの感謝が強かった。ライブはそれでも行けば楽しかったし、最後までをファンとして見届けることができたのは心から良かったと思っているけれど、あのままの活動ペースでもし嵐が続いていたとしたら、全員のすべての活動を追うことは諦めて、松本潤くんの出演・掲載と、ライブだけ観る、単推しに近いおだやかなファンに戻っていた可能性はあったと思う。
 嵐への熱が下がるのと、ほぼ入れ替わるように、2015-16年ごろからはアイナナにどっぷりはまっていて、2018-19年にはナナライがあったので、それが私のアイドル欲を埋めてくれていた。けれど2020年からはコロナ禍もあってライブイベントそのものがなく、アイドルばかりでなく、ライブというものへの飢えも切実につのっていた。
 なにわ男子の一部メンバーのことは、デビュー前から知ってはいた。なにわ皇子時代から大西流星くんを追っているフォロワーさんがいたので、その方を経由して長年、関ジュのことをうっすらと見聞きしていた。流星くんのやばいかわいさ、まいジャニ、kin-kanの存在。キンプリとSnow Manには出自が関ジュの子がいること。東京のジュニアに比べて関ジュは世間から注目されるチャンスが少なく不遇であり、ローカル番組や松竹座などでファンとの距離が近いこともあって、思い入れの強いオタクが多いようであること。
 道枝くんのことは入所当初から、少クラの関西回などで見知っていて、なんかめちゃめちゃ可愛くてオーラのある子がきたな、絶対スターになるぞ、と思っていて、ドラマはちょこちょこ見ていた。強火二宮担として有名であり、ドラマや映画にも出ていた西畑大吾くんのことも、もちろん知っていた。
 なにわ男子の結成とメンバー構成も聞いていたし、ライブのチケットが全然取れないほどの圧倒的人気ぶりも噂で耳にした。バーチャルジャニーズプロジェクトのことも小耳に挟んだ。藤原丈一郎くんが熱心かつ配慮の行き届いた野球トークで、野球ファンのおじさま方から好感を持たれているということ。ビジュアルつよつよの子が高橋恭平くんという名前なこと。ハマる前の知識はそれくらいで、大橋くんと長尾くんについては正直ほぼ存じ上げなかった。
 デビュー決定のときも話題は目にしていたし、注目もしていて、初心LOVEは歌番組やMVで見ていた。デビュー前後のバラエティの露出も、今振り返るとある程度見てた覚えがある。プリンプリンの記憶があるので、多分大橋くんもどこかで見ていた。でもそのときは、個別の推しを見つけるには至らなかったし、こんなに若くてキラキラしたピンク色の正統派アイドル、あまりにも眩しすぎて、自分には向いてないと思っていた。
 そもそも私が最初に好きになった頃の嵐というのは、ライブ重視で深夜番組が主戦場の、ちょっとマニア向けというか、ジャニーズの中でも地味でマイナーな、内輪では熱心に愛されてるけど外にはぜんぜん知られてなくて、サブカル系アイドルみたいに言われてたくらいで、ぜんぜん王道でも国民的でもなかったのだ。ブレイク以降の嵐しか知らない人はなかなか想像できないと思うけど、ほんとに、ほんとにそうだった。好きだと公表すると、「なんでよりによって嵐なの、物好きだね」と言われることさえあった。
 記憶とログを掘り起こすと、たぶんなにわちゃんは、デビュー当初に、SHOWチャンネルとHEYHEYHEY、Mステあたり、なにわちゅーぶだとデビュー日生配信、なんじゃもんじゃの回、NANIWA'S WAYのMVは見ている。んだけど、かわいいな、とは思っても、深入りするきっかけには、そのときはならなかった。ファンにとっても本人たちにとっても、ものすごく待望のデビューだということは知っていたし、おめでとうとは思った。デビュー後も、ドラマ金田一は配信で流し見たが、そのときは主題歌もちゃんと聴いてなくて引っかからず。

 


 そんな自分が、なにわ男子へと大きく心が傾く、きっかけになった出来事はふたつあった。
 5月に、岡崎城に家康予習旅行に行った。そのとき、「葵武将隊」というご当地アイドル的パフォーマーさんたちのミニステージを、たまたま観たことがまずひとつ。(どうする家康の大河ドラマ紀行や、家族に乾杯の岡崎編にも出演されていたので、それでご存知の方もいると思う。)
 とても久しぶりに、歌って踊る(カラオケだったと思うけど)人たちを目の前で見て、シンプルに心が踊った。冒頭のトークで、観光ネタを散りばめながら、よくできたコントのようなやり取りをしていた、ガタイのいい愉快なお兄さんたちが、いざ音楽が流れ、鎧甲冑の衣装で、旗を振ったり殺陣を取り入れたりのダンスパフォーマンスをはじめたとたん、空気ががらりと華やいだ。それはちょっと鳥肌が立つくらいの変化で、同時に、アイドルの現場で何度も目にしたそれと似ていた。さっきまでキャッキャとじゃれていたどこにでもいそうな少年たちが、マイクを握って、歌が始まった瞬間、かちりとスイッチが入って、まばゆいオーラをまとい、きらりアイドルになる。あれと同じだった。
 ああ、これがアイドルの原点だ、とそのとき強く思ったのだ。
 二宮さんが昔言った言葉で、「普通の男の子たちがアイドルになる、その魔法の鍵となるのが、ライブだと思う」という主旨のものがあって、それが強く印象に残っているのだけれど、葵武将隊を見て以降、それについて改めて考えるようになった。人をアイドルたらしめる、強烈なメタモルフォーゼの秘密。その魔法そのものが、私は好きなんだと思った。その奇跡を見たくって、それに心惹かれて、ライブに行き、アイドルを追っているのだと。
 そしてそのとき、心から、またアイドルを好きになりたいと思ったのだ。あの情熱が、熱狂が、切実に恋しくなった。
 いわば、自分にどのような類の飢餓があるかを明確に自覚し、それを埋めたいと具体的に願いはじめたのが、このタイミングだったのだ。とはいえ、何をいつ好きいなるかなんて操作不能な感情で、意図して好きになれるわけもない。恋に落ちるのは事故のようなもので、自分の意志ではなくて、何かの間違いに襲われるみたいなことが、契機として必要なのだ。
 もうひとつの出来事は、7月5日にジャニフェスの円盤を観たことだった。配信は観ていなかったから、このときが初見だった。
 それは、ジャニーズの華やかで輝かしい要素が、最高のかたちで結晶した、完璧なステージだった。
 とても丁寧に精密に、かつ愛情込めて演出され、最大限の技巧とお金を惜しげもなく注いで作られた、ジャニーズ集大成のコンサート。どのグループのパフォーマンスも、それぞれの魅力を最大限に発揮していて心底楽しめたし、アイドルってなんていいものなんだろうと深く感動した。松本潤プロデュースの手腕に心から敬意を抱いた。やっぱりジャニーズが大好きだと思った。なにわ男子もゲスト的登場だったけれど、隅々までキラキラアイドルをやり切っていて素晴らしかった。強いピンクのお衣装(のちに松本潤がジャニフェスのなにわちゃんのために作ったものだと知る)がとても可愛かった。
 それを契機に、YouTubeにあるなにわちゃんの動画を改めてちょっと見てみよう、と何気なく思った。他にもジャニフェスでいいなと思った曲やグループはあったけれど、単純に、なにわちゃんのことがもっと知りたいな、と思った。
 ほんとに、何気なく。まさかこんなにハマるとは思いもせずに。

 


 
 だんだんなにわ男子に心を奪われていった過程の話。

 


 7月7日。この日から、YouTube公式チャンネルの動画を少しずつ見はじめた。
 この頃に見たのが相関図のみっちー回、大橋くん回。それから、人望あるのは誰?の回、タンクトップ再びの回。このへんで既にもう、七人の顔と名前、キャラクター、関係性をある程度把握できて、全員それぞれ魅力的だな、と思うようになってきていた。どの子もそれぞれ推したくなる魅力的な要素があって、何よりどの動画も普通に面白い。この子たちまだデビュー1年も経ってない、動画によってはデビュー前だったりするのか、それでこれだけ喋れるとか、関西勢の経験値はおそろしいものだ、と思った。
 実際、YouTubeのコメ欄を見ていても、なにわ男子は、全員好きになっちゃってなかなか推しがひとりに定まらない、というコメントが結構多い。七人全員個性は違うのに、多くの人に、メンバー全員をそれぞれ好きにさせてしまう力がなにわにはあって、そのキャラクターの総合力みたいなものが、ひとつの大きな強みなんだろうと思う。
 動画を見始めたばかりの時点では、私も、全員をどんどん好きだな、かわいいな、と思うようにはなっていたけれど、だからこそ全然担当が定まる気がしていなかった。高橋くんは美形だし、道枝くんは背おっきくなったけどやっぱりかわいい、とは思っていた。当初、正直、丈一郎は全くのノーマークだった。

 


 9日に見た動画(人望あるのは誰?)で、丈くんがすごく気遣いの人で、全体をよく見ていて、絶妙にバランスや方向性を整えられる人だということに気づいたのが、まず惹かれだした最初のきっかけだった。
 流れを読んで、他のメンバーが前に出やすいように一歩引いて裏で動いていたり、でも自分が切り込むべきときは最適なタイミングかつ高い瞬発力で前に出て、きっちり笑いを取ったり、単調になっていた空気に大きな変化をつけたりする。そんな動きが、あくまでさりげなくできる。
 メインで仕切ってるのは大吾くんで、それはめちゃめちゃうまいんだけど、丈くんが周りをよく観察していて、正確なパスを上げて、大吾くんを自然にサポートしている。的確なツッコミを入れたり、メンバーのボケやリアクションを見逃さず拾ってあげたり、飽きることも集中が切れることもなく、誰よりも賑やかに盛り上げ続けたりしている。一度気づきはじめると、なにわTubeのどの動画でも常にそういう働きをしていることがわかる。この人、すごいな、と思った。
 それが最初に、藤原丈一郎という人が気になった理由だった。今となっては信じ難いことではあるのだが、このとき、どうしたわけか、まだ丈一郎の顔の美しさには気づいていない。ていうか、藤原丈一郎という人の、「顔がいいことに気づかれにくい」率、謎にすごい。ふしぎ。
 12日に見た動画(伝説のタンクトップ再び…の回)で、さらに流星のあざとかわいさとバラエティ力のすごさ、丈くんの切れ味鋭いツッコミと絶妙な裏回しに感心する。このあたりで、なにわ男子ってキラキラしすぎてちょっと敷居が高いな、と尻込みしていたのが、だいぶ親しみやすいと感じるようになってきていた。あと完全に丈一郎をバラエティとお笑いの人だと感じていて、歌って踊るアイドルの姿は全然想像がついていなかった。
 まだこの時点では、丈一郎の背が高いような気がしていた。175センチある顔してるし、肩幅と胸板がしっかりしてるから、座ってると大きく見えたのかもしれない。なにわちゃんはツインタワー以外はみんな同じくらいの身長だから、実際の大きさが見えにくかったのもある。のちにあらゆるオタクが「丈は身長175センチ顔」と言っているのを見て、みんな同じこと考えるんだ!と知ってすごい面白かった。でも背が高かったら、たぶん丈一郎にはまっていないようにも思う。あのくらいの身長と体形が個人的にほんとうに好きなので。
 あと、まだこの時点では、なにわの7人のトークの時の横並びの立ち位置って基本固定なのかなと思ってもいた。のちに流動があることは知るんだけど、固定だとすると七人を覚えてもらいやすいし、センターに仕切りの大吾、両端にツッコミもフォローもできる丈くん、ボケられて包容力もある大橋くんと、対応力の高い年長3人を離して置いているのが、すごくフォーメーションとしてうまいなと思った。
 それと思ったのは、いい意味でなにわちゃん、7人もいるっていう気がしないのだ。
 いつもぎゅっとして、ひとり輪から外れるようなこともない一体感もそう。どこの関係性をとっても信頼と尊敬と愛情があるから、個性はそれぞれあっても自然とひとつになれる。あと、ふつう7人もいたら、視聴者からしたら全員にはなかなか意識を向けられないし、誰かしら興味ない子や苦手な子がいてもおかしくないんだけど、なにわちゃんは全員もれなくガンガン視界に入ってくるし、誰に対してもそれぞれ魅力的だと思えるし、キャラがぜんぜん違うからすぐ名前を覚えられるし、全員好きになってしまう。なので人数が多くてわけわかんないよ、とは感じないのだ。7人もいるのにそれって本当にすごいと思う。
 あととにかく見ててストレスがない。誰か一人が突っ込まれたりいじられたりする流れになっても、必ず誰かがフォローするし、そもそもきつい空気にならない。失敗も責めないし、お互いにすぐかわいいかっこいいと褒め合って、肯定的な雰囲気に満ちている。
 そして、これは流星くんの存在が大きいと思うんだけど、「かわいい」という言葉を純粋にポジティブに使ってて、みんな頻繁に口にするし、言われた側もシンプルに褒め言葉と受け取って「ありがとう」と言えるところが、若い世代って感じでとてもいい。一般的には思春期以降の男性って、かわいいと言われることを嫌がったりするし、かわいいという言葉をどこか上から目線で、軽んじていいもののように使う人もいる。かわいいという言葉は、魅力的で愛らしいという意味ばかりではなく、主に小さい、幼い、弱いもの、あるいはいわゆる女性的なものに対して使われることが多いから、どうしても蔑視のニュアンスで言う人もいるし、あるいはそう言われることをネガティブに受け取る人もいるんだけど、でもなにわちゃんにはいっさいそういう翳りがない。
 男だろうが女だろうがどっちでもなかろうが、かわいいものはかわいい、かっこいいものはかっこいい、好きなものは好き、それでいい、というメッセージ性を、自分たちのあり方そのもので表してる。そうして、かわいいきらきらのアイドル、を一切てらいなく、堂々と全力でやってのけている。そういう自由な感じも、すごく見てて心地よくて安心できた。いいな、と思った。

 


 そんなふうにして、じわじわと、扉は開かれようとしていた。

 

 


3


 なにわ男子にどすんと惚れて、でもあくまで箱推しだった4日間の話。

 


 最初の分岐点となったのが、13日。はじめてなにわのライブ動画を見た日だ。
 偶然だけどファーストアルバム「1st  Love」の発売日でもあった。

 予感というか、たぶん、それを見たらはまってしまう、自分が今、分水嶺に立っているな、ということはわかっていた。MVでも音楽番組でもなく、ライブの映像、というのが鍵だったのだと思う。アイドルをアイドルたらしめる、最強の魔法がそこにはあるから。
 どれだけバラエティが面白くても、曲が良くても、ライブの魔法にかかることがなければ、たぶん魂までは奪われない(個人的に)。かといって、ライブさえ観ればどんなアイドルでもハマる、というわけでもない。魔法というのはかける側にだけでなく、かけられる側にも準備というかタイミングが重要で、好きになる他の要素がたまってきているその瞬間に、それを浴びる、というのが成立の要件なんだと思う。
 はじめて観たのは、公式の「1st Love初回限定版1収録 関西ジャニーズJr.曲メドレー」で、ライブのダイジェスト映像になっているもの。続けて「”Naniwa Danshi First Arena Tour 2021 #NaniwaDanshishikakatan" Digest Movie」を見た。仕事帰りの電車の車内でのことだ。
 見始めて数分で、もうノックアウトだった。心臓の真ん中に、深い矢が突き刺さったとわかり、とうとう観念した。他のジャニーズにもときどきかわいいとかかっこいいとか、この曲好きとか感じることはあったけれど、そういうのとは全然違った。YouTube動画であんなに面白くてわちゃわちゃしていた子たちが、この姿こそが本領とばかりに、きらきらにまばゆく歌い踊り、生命そのもののように輝いていた。アイドルがいる、これがアイドルだ、と思った。魔法は成立し、愛の鐘が鳴って、心の欠けていた部分が埋まり、向かう先は決まった。空は光を取り戻し、花は色づき、小鳥は歌いだし、心と体を駆動させる炉心に火が灯った。
 そして、すぐさまスマホを操作し、アルバムの初回版2種とライブ円盤をタワレコオンラインで取り置きして、翌日買いに行った。錆びついていたオタクフットワークも、俄然再稼働を始めた。
 まださっぱり推しは定まらなくて、でも歌って踊ってアイドルしている彼らは全員良くて、全員目で追いたくて、全員どきどきした。揺るぎなく真っ向から、人生かけてアイドルをやり切っている人たちだと思った。完全に恋だったし、舞い上がっていた。
 ほわほわとした気持ちのまま駅前に降り立つと、地元の祭りの練習がちょうどその日からはじまっていて、少し離れたところから3年ぶりの祭囃子が聴こえてきた。私にはもうそういう華やいだお祭りは来なくって、ただまったりと枯れたオタクとして生きていくんだと、ここ数年何となく思っていたのに、祭囃子はまた夜空に鳴り響いて、わたしの胸を躍らせた。運命だなあ、と思って、とりあえず練習場所に囃子をちょっと聴きに行き、近所でうまい酒を飲み、オタク友達にLINEで恋に落ちたことを報告した。

 


 この日の時点で、なにわ男子ちゃんを好きになってしまったことは確定済みだったのだけど、まだ本当に箱推しだった。強いて言うならまあ七人の中では気にはなってるくらいで、他の子もじゅうぶんかわいくて魅力的で、誰担当になってもおかしくないくらいの揺らぎはあったと思う。いちおうこの日の夜の時点で、7人のなかでまず最初に藤原丈一郎で検索して、wikiを読んで、意外と背が低い、好みの身長であることに気づいてきゅんとしている。ジュニア歴が長い最年長であることはこの前から知ってた気がするのだが、ここで改めてそれを認識した。

 


 15日、エモ旅のBBQと露天風呂を見る。この大ベテラン最年長、全く偉ぶらないどころか延々みんなに肉焼いてるし、いじられて嬉々としてるし、はしゃぐときは年下組と同列で、褒められるのは慣れてないのか照れて無口になるし、なんかすげえかわいいなと思った。あと真顔だったりおでこ出してると、案外美人なことに気づきかけている。

 16日、エモ旅のお化け屋敷や余興を見て、このひとビビりでヘタレ属性もあるし本格的にかわいいなと思いはじめる。年下メンバーともすごく対等に接してるし、率先してボケたりネタを振ったりするし、思ってた最年長と違うな…と意外性がツボに入りかけている。あと絶対このひとMだなと確信した。でも、自分はお笑い担当の陽キャにはハマらないタイプだしな、とも思っていた。どちらかというと、いままでの好みの傾向として、グループの中でセクシーやクール担当の美人系の人にはまりがちだという自己認識があったので。まあのちに、丈一郎はお笑い陽キャだけでなくセクシーもクールも美人も兼ねてるということを知るわけだけど…。
 そして夕方から、ライブ円盤を2枚とも観た。初見の時点では箱推しとして、目が足りないと思いながら全員追っていた。ダンスで好きになりがちなので、そこに注目して色気のある子を探そうと思っていたけど、まだメンバーが入り乱れると見分けが瞬時にはつかなくて、流星くんが基礎のきちっとした踊りをできること、大橋くんの歌と踊りのスキルがバリ高なこと、長尾くんのアイドル性の高さ、大吾さんのアイドルを演じ切る表現力がすんげえなということがまずは印象に残った。丈一郎は、初見ではとにかくしゃかりきで、意外に色気があるなと思って、YouTube動画などのイメージからの落差がいちばん大きかった。
 とにかく、歌割りもカメラ映りの時間も、全員かなり均等に近いのが、まずはプロデュースとしてすごいと思った。エース道枝くんかセンター西畑くんを露骨にメインに据えてもおかしくないのにそれをせずに、誰かのセンター曲とかメイン曲とかあってもフォーメーションの入れ替わりが多く、他の子にも充分見せ場がある。コンビ曲でも、かわいい系もかっこいい系も両方、各メンバーに振られるので、「お笑い担当なのでかわいい表現とかかっこいいパフォーマンスをやらせてもらえない」みたいなフラストレーションが全くない。あと全員踊りまくれる体力があるのがさすが若手グループで、今のうちに可能な限り踊ってほしいと切実に思った。
 先輩の名曲の力をいくらでも借りられるというのはジュニアコンの大きなアドバンテージだと思うけれど、ちゃんとなにわの色に合った曲を選んで、自分たちのものにしてパフォーマンスしてる。これは大倉くんの手腕なんだろうなと思った。あとやっぱりデビュー前のアオハルコンでも既に、なにわオリ曲のクオリティや衣装のお金のかかり方などが尋常じゃないのがあきらかにわかって、シンプルにすごかった。全員のパフォーマンスのキラキラ感、既にデビュー組レベルじゃんって思ったし、特にやっぱりキャリアの長い4人の安定感、うまさが際立っていた。若手3人にもそれぞれにフレッシュな華があった。こんだけ実力と人気があれば、そりゃデビューするわな、と今さらながらとても納得した。
 NaturalとROTを観たのはライブ円盤よりあとだったので、彼らの背景についてはぼんやりとした知識しかない状態だったけれど、アオハルコンも勝たんコンにもあった泣きどころのツボは、ライブだけでも充分に伝わってきたし、初見でめちゃめちゃ涙した。これはそもそもジャニオタだったので、説明がなくてもエモの文脈がすっと理解できたというのもある。
 突然のグループ結成、最初は戸惑ったりぎこちなかったメンバーが、ライブやさまざまな仕事を重ねるなかで、しだいに関係性ができていき、絆が生まれ、仲よくわちゃわちゃするようにもなり、ときに意見がぶつかったりもしながらも、互いを信頼し尊敬し理解し合い、やがて同じ夢に向かってひたむきに走っていく。グループアイドル特有のこのエモが響かないジャニオタはいないだろう。それが、ライブ円盤だけ観てもめちゃめちゃ伝わってきた。デビューできて本当に良かったねと心底思ったし、素直に応援したくなった。デビューまでの短くない年月は、この七人の素敵な関係性を作り上げるために必要なものだったんだなと強く思った。

 


 丈一郎について、ライブ映像の第一印象。
 ダンスも、それから踊らないところの客席煽りなども含めて、ずっと全力で動き続けてて、最年長だけどいちばん体力あるように見えた。手の指先から足のつま先、かかと、膝、腰、肩と全身を使って表現してて、曲ごとに表情も変えて演じていて、パフォーマンスの完成度が安定して高いのがさすがだと思った。お笑いやトークを担ってて、MCでもめちゃめちゃ頑張ってるのに、ライブではきちんと格好つけたりキラキラしたりして、照れずにアイドルやり切っていてい、両方できるってめっちゃ強いなと思った。恭平とかみっちーと並ぶと小さくてかわいかった。
 最初に印象的だったのが、Dial upでセンター花道を先頭に立って駆け出すところ。わたしはサビを歌いながらセンター花道を駆け抜けるアイドルが大好物なのだけれど、メインステから飛び出す瞬間のあの軽快なステップがエモの塊だった。2Facedとか、曲によってはかっこいい、セクシーな表現を中心になって担当するのが丈一郎だったの、正直意外で、めちゃめちゃかっこよかった。オラついてゴリゴリに踊ってて、色気もガンガン出してくるのがまじで美しくてやばかった。「年男に抱かれてみる?」とか「俺らがお年玉や」とかの、ヲタをどきっとさせて沸かせる台詞もさらりと吐くし、表情や間合いまで完璧で、腰を抜かした。かと思うと、明るい盛り上げ曲ではぱっと切り替えて笑顔になる、その瞬発力。自分の歌唱パートじゃなくても口を大きく動かして、楽しそうに歌ってる。そしてカメラ目線をガンガンやってくるし、それがいちいちうまい。
 何より、一番後ろや端の席まで届かそうと、大きく大きく手を振って、飛び跳ねて、駆け回って、客席に笑顔を向ける、その姿が一分の隙なくアイドルだった。そんな丈一郎を見ていると、この人は本気で、その場にいる人を全員楽しませたいと願っているのだと、そのために全精力、人生全部を惜しみなく懸けてるんだというのが切実に伝わってきた。その姿があまりにもひたむきで、献身的ですらあって、存在そのものがアイドルで、胸が震えた。ファンを喜ばせたくてやっているんだけど、それが自己犠牲とは違って、ちゃんと自己実現にもなっている。ファンを思いきり愛することと、ファンからめいっぱい愛されることが、ちゃんと同じ重さで交換されてつり合っている。それこそがまさにアイドルの大切な素質だと思った。
 ひそかに刺さったのが、丈一郎がMCで「絶対」「一生」って軽率に言ってしまうところ。「必ず帰ってくるからね」「絶対に、みんなの夢を叶えます」「どうか俺たちに、一生、一生、ついてきてください」って、オタクにとってはプロポーズと同じだし、何よりも欲しい言葉だ。永遠なんて存在しないのかもしれないけど、ライブっていう夢の空間の中では、刹那、それを心から信じてしまう。この幸福な瞬間が永遠に続くこと、また再び出会えること、そんなループが一生繰り返されること。その約束を、ファンが何より願っていることを理解していて、躊躇なく誓えてしまうこと。その純真さが、迂闊でもあり天才でもあると思った。

 


 今思うとなんだかんだ総合して、ライブ(円盤)落ちの丈担、ということになるんだと思う。ライブ盤初見のときいちばんぐっときたのは2Facedだったから、2Faced落ちといって差し支えない気もする。でもやっぱりそれだけが引き金じゃない。ライブ見る前に人として気になっていたこと、面白いと思ってたこと、そのあと全然別の顔を見て、その振り幅の大きさを知ってガツンとやられる、という順番が重要だったんだと思う。
 とはいえ一周目視聴し終えた時点では、まだ「箱推しだけど、七人の中で比較して一人選ぶなら」くらいの自覚だった。

 

 


4


 好きと担当の境目を超えた日々の話。

 


 翌17日、YouTubeでエモ旅の続きを見る。絶叫マシン、SA朝食、バナナボート、寝起き。このへんから、箱推しで全体を見るというより、かなり丈一郎に注目して見るようになっていた。絶叫マシンで怯えて半泣きで喋り倒し悲鳴を上げているところ、めちゃめちゃ笑ったし、最高にヘタレ可愛かったし、マスクとヘルメットで目と眉だけ出てる顔がびっくりするくらい美人だった。寝起きも美人だわエロいわ生々しいわで大変だった。
 そしてライブ円盤を見返す。アオハル紺のDial Up、Bring It On、2Faced、Midnight Devil、Banger Night、ダンス曲中心に、そして丈一郎中心に見れば見るほど、この人のダンスが好きだという思いが強くなっていった。
 そんなこんなで、かなり丈一郎が気になっていたこのタイミングで、アプデの丈一郎アナウンサー回の前編が放送された(オンエアは16日だったけれど、週遅れ放送地域なのでTVerで17日に見た)。ひたむきな努力といつになく真剣な表情がとても美しくてぐっときたけど、いちばん印象に残ったのは、ちらっと映った日記の文字だった。達筆というのではないけれど、漢字とひらがなの大きさに差をつけていて、文節の間が少し開いてる感じが、たくさん文字を書いてきていて、なおかつ人に読ませるための文章を書ける人のそれだという気がした。その後、一般受験で大学に行ってて、卒論も書いてきっちり四年で出ていることを知って、勉強キャラで売るほどではなくても、それなりにやっぱり文章を書く訓練はしてる人なんだと思った。のちに見た、MCコーナーの台本を楽屋でノートパソコンで書いてたりしてる姿も、妙にリアルでぐっときた。
 この日の午後に、なにわFCに入会。藤原丈一郎、という名前を選択し、二秒くらい見つめて、確定のボタンを押した。つまり記録上、というか名義上、わたしはこの日から、丈担になった、ということになる。
 しかしながら、まだこの日、わたしは「担当」という言葉を使うことをためらっていた。

 ともあれそうして、自分の意思で七人から一人を選んだ、ということで、この瞬間から思考にがっつりバイアスがかかって、以降は箱推し目線で均等に見ることはできなくなったのだと思う。すべてを丈担として見るようになって、結果としてどんどん解像度が上がってきて、一気に好きの加速度が増した。選ぶ、ってやっぱり、特別な行為だ。
 翌18日も仕事は休みで、この日はひたすら丈担視点で、ライブを見返したり始球式とかいろいろな動画を見ていった。よく見るとめちゃ顔がきれいなことに、ようやくこのへんで気がついたと思う。なにわといるとがっしりして見えるけど、芸人さんとか外部の人と一緒だとアイドルらしく小顔で小柄でキラキラしてること、などにも次々気づいて、ときめきが強くなっていく。

 そうして、19日、月曜日の朝。
 目覚めたら、もう誇張なしに、一日中丈一郎のことを考え続けてしまうように、脳味噌が変性していた。眠ってる間に刷り込みと脳の再構築が起こったのだと思う。どう考えても、この夜に、わたしの脳で何か重大で不可逆的な変化が起こったのだ。
 そこから、狂乱と読んで差し支えない日々がはじまった。
 明け方に目覚めて、もうその瞬間から丈一郎のことを考えはじめていた。比喩じゃなくてほんとうに一日中、丈一郎のことで頭がいっぱいで、ずっと興奮状態だった。いろいろ写真とかをあさって、このひとめちゃめちゃ美しい顔してる!といちいち悶絶し、これはジャニショに行かねばならない、お写真とグッズを買わねばならない、と物欲をつのらせていく。さまざまなところで映像を画像を記事を見漁っては、顔の綺麗さ、ダンスのかっこよさ、その存在すべてに魅了される日々がここからはじまった。
 今思い返しても、この日から一か月くらい、ほんとうに脳味噌の状態が普通じゃなかった。まず朝は、本来起きなきゃいけない時間の一時間以上前には目を覚まして、その瞬間から丈一郎のことを考えはじめて、一気に覚醒してしまって二度寝ができなくなった。毎日ずっと、延々と常に丈一郎のことを考えていて、睡眠不足でも全然眠くなかった。こんな勢いで人を(アイドルでも二次元キャラでもリアルでも)好きになったのは生まれてはじめてで、自分でもあまりに荒波に飲まれたようで、わけがわからなかった。
 とにかくも、その日からわたしは、仕事と生活に使う最低限以外の時間を全部、新聞を読む暇もそれまでやってたソシャゲにログインする暇も、好きな野球を見る暇もなく、Twitterを開くこともせず、なにわ以外のYouTubeを視聴することもなく、ただただ使える時間の全部をなにわを知るためにつぎ込み、仕事中でさえ隙あらば1日何十回でも丈一郎のことを考えていた。まだ自分の中の丈一郎像が確立する前に他人の意見に触れて影響されることが怖くて、同担の意見を見るのは極力避けてた(もともと同担歓迎派なので、今はもう違う)。コンサートツアー中なのはわかっていたのだが、とにかく基礎情報を欲していたのと、他人の感想を見るのが怖くて、コンレポも途中までは見れなかった。
 そうしてなにわと丈一郎をひたすら摂取し続けたのは、脳がそれを切実に欲していたからだ。まだその時点では見た映像の数が圧倒的に足りなくて、だから動きや喋りの癖、思考パターンなど、特徴をすべては把握しきれず、脳内で自在に丈一郎を喋らせたり動かしたりすることができなかった。だから、早くそれができるくらいの情報量を蓄えなきゃならなくて、とにかく必死だった。なんかこう、3Dモデルをくるくる360度動かしたり、CGキャラクターを自在に飛び跳ねさせたり、ボーカロイドに自然に歌わせたりするためには、全角度から撮影したモデルの画像とか、膨大なパターンのモーションキャプチャとか、大量の音声素材とその加工テクニックとかが必要になると思うんだけど、そういう、とにかくベースとなるデータを収集しなければという焦燥感がすごくて、ほとんど飢餓状態だった。
 動機としては、基本モデルを脳内に構築しておくことで、見たものをなるべく正確に記憶して、いつでも引き出しを開けて再現できるようにしておきたいというのがまずひとつ。それだけでなく、脳内に、声、動き、体、顔、表情、こういう状況でどういう動きをするか、こう言われたらどう返答するか等を、なるべく正確に現実に即して再現した、仮想の「藤原丈一郎像」を何がなんでも構築したくて、脳がフル回転し続けていた。自分が関西弁ネイティブ(大阪ではない)であることを、これほど嬉しいと思ったことはなかった。脳内藤原丈一郎に、本物に近い言葉を喋らせることが、比較的容易だからだ。

 


 だがしかし、そういうだいぶ異常をきたした精神状態になってもなお、まだわたしは「自担」という特別な言葉をどう扱うかについて、日々迷い続けていた。あまりにも急激に熱が上がったものだから、逆にこれがささいなきっかけで突然醒めたりしないのか不安になったというのもある。我ながら急展開すぎて、自分でも足許がおぼつかなかったのもある。
 ともあれ、「自担」という言葉だけは保留のまま、好きはひたすらに加速を続けていく。

 


 陽キャにはまったのがはじめてで困惑したけど、雑誌のインタビューなどを読んだり、Naturalなどドキュメンタリーを観ていくうち、ただ明るいというタイプではないこともわかってきた。実際は空気が読めすぎて、相手を気遣いすぎるために、思ったことが言えない性格だったりもするところ。表ではあんなに笑顔なのに裏ではめちゃ真剣で真顔で、年下組に厳しく言うべきときは言える、根が真面目で芯の強いところ。めちゃめちゃ先輩からも後輩からも愛されて親しまれている、鬼のコミュ力。細かい気配りもできるし、真面目な会議の仕切りもできるし、円陣の声出しは頼もしいし、ときに挫折したり繊細に傷ついたり考え込んだりもしてるんだなと、だんだん理解も深まっていった。
 そのときたまたま、7月発売最新号のPOTATOが丈一郎ソロ表紙だったこと、Myojoの1万字インタが丈一郎だったこと、という偶然も有難かった。アプデ、表紙、長文インタ、と、気になりだしたタイミングで濃くたっぷりと丈一郎を摂取することになり、丈一郎をより知ることができて、解像度も上がったし、好きに加速度がついた。丈橋表紙のダンススクエア、ソロインタが載ってた日経エンタなどもバックナンバーで手に入れることができて、これらもおおいに理解の参考になった。
 1万字インタで、「入所当初から応援してくれてる方、最近ファンになった方、これからファンになる方、誰でもいつからでも、必ず幸せにする」と語ってくれたことが、新規のわたしには泣くほど嬉しかった。POTATOソロ表紙号で「俺は無傷で走るのは絶対無理なんで」とさらりと触れた言葉も胸に刺さった。不器用でも臆しない、傷や痛みを負ってもひるまない、止まらない、その覚悟の強さ。一方で、1st Loveツアーパンフの「ファンの方には、たくさんいるアーティスト、アイドルの中から、自分を見つけてくれて感謝しかない」という言葉には、長い3列目時代の苦労や、だからこそファンを絶対に大事にする、もらった愛に対して幸せを返したい、という強い決意が滲んでいる。
 あとすぐさまradikoプレミアムに登録して、藤原丈一郎のなにわんだふるラジオを聴いた。声がずっと笑顔で甘くて可愛くて、親しげでお喋りが流暢で、元気で優しくて、滑舌が聞き取りやすい。30分番組だけど内容が濃くて、一時間でも二時間でも聴いていたくなる。それからジャニウェブの連載も読んだ。毎週毎週、長文で欠かさず遅れず更新してくれるまめさ、「なにふぁむ〜」と必ず話しかけて時候の話題を出して気遣ってくれ、お仕事やプライベートの近況を、友達にメールするみたいな文体で教えてくれる。ファンと接するどんな小さな機会でも、どうやったら喜ばせられるのか、少しも手を抜かずに工夫を凝らしてくれるのがわかる。
 最初に惹かれたのも人柄や仕事に向かう姿勢だったけれど、知れば知るほど、人としてもますます好きになった。
 もちろんアイドルだって人間だから、欠点や瑕疵がひとつもないなんてことはないと知ってる。直接会ったことのない、メディアを通した表向きの顔しか知らないひとの、人間性うんぬんを勝手に決めつけるのはしょせん幻想で、けったいなことかもしれない。
 でも、少なくとも彼の、人を楽しませることへのあくなき情熱、そのために人生を全部、惜しみなく賭けているということ。それだけはどう考えても、揺るぎなく信じることができる。

 


 丈くんの好きなところ。
 まずはダンス。下半身に特徴のある、ジャニーズで鍛え抜かれた丈一郎のダンスが大好きだ。みんなで踊っているときも、脚の動きを見れば丈一郎がどこにいるかすぐわかる。振りのないところでも他の人の倍くらい細かくリズムを刻んでいる膝とかかと。しっかりと開く膝、後ろに重心を傾けて膝を曲げたときの、かかとの上がり方。手足の動きの始動が早くスピードがあって、音やリズムの真ん中にぴたりと振りが嵌まるさま。視線の動かし方、表情の作り方でも歌詞の内容や曲の雰囲気を表現してくれるところ。体幹がしっかりしてて、脚がどれだけ素早く複雑に動いても重心が安定してるところ。
 見られ方、魅せ方、盛り上げ方をわかっているパフォーマンス。コール&レスポンスの間の掴み方の絶妙なうまさ。
 外の番組にゲストで呼ばれると、お行儀よく脚を揃えて椅子に座るところ。脇を閉めてぱちぱち拍手するところ、挙動が基本的に上品なところ。そこだけ意外に小さくて子供っぽい手。手足は細いのに骨盤の幅と肩幅がわりとあって、胴体はすごくがっしりしてること。脚が速くて運動神経がいいところ。
 踊るためのきれいな筋肉がついたふくらはぎ。きりっと強い眉毛。ふちの深く切れた表情豊かな大きな目。漫画みたいにぱっと大きく開いて笑ったかと思えば、夢みたいにセクシーになる唇。両頬のチャーミングなほくろ、右耳の近くのほくろ、顎のほくろ、胸のセクシーなほくろ、右手人さし指のほくろ、ふくらはぎのほくろ。ほくろは全部最高なので、全部美の神様の筆によるものだと思います。
 そして、自分の容貌が美しいことをちゃんと知っている表情のつくり方。髪型やメイク、眉の出し方などで自分の顔がどう見えるかよく理解していて、それを媒体によって意図的にコントロールしているところ。ダンスもお芝居も雑誌の撮影も全部、求められるものに応じて、自分の身体をすみずみまで使って、さまざまな表現をしてみせてくれるところ。
 普段は陽気なお兄さんなのに、いざ色っぽさを出すとなると破壊力がやばいところ。ビジュアル的な色気はもちろんなんだけど、表情が豊かで、喜怒哀楽が素直に全部出るところもまた実に可愛くて、とてもセクシーだと思う。突っ込まれて照れたり、嬉しすぎてはしゃいだり、ちょっとしたことで怖がったり、苦痛と苦悩を、あるいは悦びと興奮を、顔だけでなく全身でどたばた激しく表現する、そういう無防備さと、生身の人間ぽさにたまらなく色気を感じる。稀にしょっちゅうぽろりとこぼれる、天然だったりヘタレだったり幼なかったりするところの、かわいさがまた半端ない。
 映像でも写真でも、カメラを見る目線の独特の親しげな感じ。なにかとても「近い」「親しい」、特定の相手を見るような感じでカメラの向こうのファンをはっきり、まじで直接、「見て」くるのがわかる。レンズの少し奥を見るとか、なにか方法にコツがあるのか、それとも小さい頃からジャニーズに居て、カメラという存在がマジで幼なじみ並に近しかったから培われた距離感なのか。この視線こそが「リア恋兄さん」感の秘訣なんじゃないか、と思ったりもする。
 それから、どんなときも、誰よりも周りをよく見ていて、視線が常に細かく動いていること。自分だけ前に出るのではなく、メンバーの反応を拾うことで全体の空気を楽しくできるところ。場の流れを読んで、変化をつけ、より面白くなる方向性を作るのがうまいこと。でもちょっと内弁慶なとこ。実は気にしいで、くよくよする部分もあるとこ。下積みが誰よりも長かったのに、すれたところ、ひねくれたところがさっぱり見当たらなくて、ひたむきさ、純粋さ、熱心さを少しも失っていないところ。素直で、柔軟で、繊細で、ときには転ぶけれどめげずに立ち上がれる、芯が強いところ。
 なにわでは必要とあらば年長者としてしっかりとふるまいもするけれど、先輩と一緒になると、生来の弟っぽさ、後輩っぽさが発揮されるところ。プライベートのほんとうの丈一郎、がどんな人かなんてわたしには知る術もないけれど、あれだけいろんな先輩に可愛がられ、認められ、そして年下のメンバーからもめちゃくちゃに懐かれ、親しまれ、ちゃんと尊敬されてもいるところを見ると、きっと素でも、外から見えるイメージとあまり差のないひとで、とても周りから愛されてる人なんだろうということがわかる。
 そして、根っからの表現者であるところ。自分の内面を表象するタイプのそれではなく、器となって、他者から求められたものや、与えられた作品、役割を、自分の身体を使って繊細に多様に描き出すことができるところ。ダンスでも、演技でも、写真でも、その伎倆の細やかさと表情の豊かさに、いつも目を奪われる。
 そしてそんなにかわいくて色っぽくてかっこいい最高のアイドルなのに、なおかつ、ちゃんと人間である生活感が垣間見えるところ。

 


 そして、わたしが惹かれた丈一郎の個性は、彼になにわ男子という属する場所があってこそ生じてきたもので、これも外すことができない要素だ。そのへんの機微が、グループに所属するアイドルの一人を好きになる、という感情の最大の面白さなんだと思う。
 たぶんソロのタレントだったとしても、他のグループに所属していたとしても、丈一郎はいまとは違ったキャラというか、素材は同じでも表現形が大きく違ったはずで、そうしたらわたしは、いくら踊りや顔が好きでも、きっとここまで惹かれることはなかった。
 グループ内でのコンビやシンメやユニットといった、メンバーそれぞれとの関係性によって、個人としてさまざまな顔が立ち現れること。個人の仕事とは別にグループの活動があって、それにあわせてグループの一員としての色をまとい、役割を果たすこと。グループに属することで、ひとりの人間が、個人では描き得ないそういう姿に、良くも悪くも変異していくことの美しさと怖さの両面が、グループアイドルにはあって、メンバーひとりひとりの人生をはっきりと狂わせてしまうそのエネルギーの強さ、運命性、というものが、ひとを魅了するんだろう。
 間違いなく、わたしは、なにわ男子を箱として好きなだけでも、あるいは丈一郎を単体で好きになってグループに興味を持ててなかったとしても、今ほど深く丈一郎に(あるいはなにわに)はまることはなかった。なにわを好きで、なにわの丈一郎を好きで、その両者が相乗効果になり、オタクの愛着は濃度を増していく。いろんな動画や番組、観られるものをとにかく片っ端から観ていって、そうやって知れば知るほど、どんどんなにわを好きになって、なにわを好きになればなるほど、丈一郎のこともまた好きになっていく。この循環が、ぐるぐると天井知らずに続いていく。
 つくづく振り返って思うけれど、なにわや丈くんを気になりだしてから本気で好きになるまでがとても速かったのには、YouTubeで観られる公式動画が豊富だということが本当に大きかった。求めれば求めるほど、観きれないくらいに山のように、動画を、情報を得られる。ネット禁SNS禁の時代だったらこうはいかなかっただろう。
 アマプラでNaturalとROTがいつでも観られるというのも、宣伝戦略として大正解だ。これのおかげで、新規ファンでも、デビューまでの軌跡をがっつり感情移入しながらなぞることができる。デビュー発表の瞬間がいかにエモいものだったかも、昔から応援してきたみたいな気分でリアルに体感することができる。その物語性はシンプルにめちゃめちゃ強いし、新参者を置いていかないでいてくれる。この仕組みがすごい。

 


 そんなわけで、どう考えても、好きなってしまったという現実は揺るぎがなかった。
 一時の気の迷いなんかじゃなかった。毎日毎日、自分に問い直したけれど、どう考えても丈くんが世界でいちばんかわいかった。知れば知るほど、昨日よりもっと好きになった。どんなときでも、丈くんを思い浮かべたら笑顔になれた。丈くんを見ていると、声を聞いていると、問答無用で幸せになれた。一分の隙もなく、大好きなのだ。
 何よりもすごいと思うのは、この人は常に、心から、周囲の人やファンを一人残らず楽しませたいと望んで、全力でそれをし続けているということ。メンバーやスタッフしかいない場所でも、おそらくは友人や身内の前であっても、何かと面白いことを考えては行動し、人を笑わせたり一緒に遊んだりしてて、そのエネルギーが尽きることがない。ライブではどの席にいるファンも、全員をもれなく見ようとしている。お手振り曲でもファンへの愛情表現がとにかく果てしなくて、スキップできずに見てしまう。
 そんな姿を見ていると、彼を好きで居る限り、ずっと幸せでいられる、と信じられる。
 きっとそれは、ただファンが貰うだけの、アイドルを消費するだけの一方通行の幸福ではない。
 彼を好きでいる、ひとりのファンでいる、それだけで、彼はいつでも心からの感謝を返してくれる。わたしたちの愛を彼は本気で喜んでくれて、それで笑顔になってくれる。そして、日々彼から直接発せられる、ラジオやジャニウェブのブログといった、生の言葉のひとつひとつ、ファンを楽しませようとしてくれる行動そのものから、「なにふぁむは丈くんにめちゃめちゃ愛されてる」と実感させてくれる。
 だから丈一郎はほんとうに、わたしのお日さまで、お星さま以外の何ものでもなかった。その光は太陽のように、世界を照らし、いのちを活かし、そしてきらきらと天を駆け、風を香らせ、大地を彩る。
 それがアイドルで、それがオタクにとっての自担というものだから。
 だからもう、観念するしかない、と思った。一生担降りなんてないと思っていた過去の自分も、それはそれで本当に楽しい思い出だったけれど、いさぎよくページを閉じることにした。そして、新しいノートと万年筆と、空色のインクを買ってきて、丈くんのことを書きはじめた。どうして好きか、どこが好きか。その日どんな丈くんを見て、どんなふうに素敵だと思ったか。いちばんきれいな色で、この気持ちを書き留めておきたかったから。
 大好きだと、手紙を書いて伝えたくなったから。
 こんなにも好きで、こんなにもあなたの存在に救われていて、幸せをもらってるんだよと、伝えたくてたまらない。これがアイドルを「応援する」気持ちなのかと、ジャニオタ歴20年にしてはじめて理解した。
 いままではわたしにとってアイドルはあくまで「鑑賞する」対象だった。けれど、丈くんはもちろん観ていたいけど、気持ちがそれだけじゃおさまらなくて、わずかでもいいから追い風になりたいと願ってしまう。想いをせめて届けたくなる。それは、ただ美しいものであるというだけじゃなくて、そこにいる生きた人間として、わたしの人生の中に入り込んでしまったということだ。

 


 彼のこれまでの18年以上のほとんどをわたしは知らないし、知りたかったなとは思うけれど、でも、その積み上げてきたものの全部の結果として、いまの丈一郎はここにいる。だからいま、丈一郎に出会えて、大好きになって、本当に嬉しいと思っている。諦めず腐らず、鍛錬を続けてきてくれたことに心から感謝している。幼い頃に何もわからずアイドルの世界に入って、さまざまなものを見て、鍛えられて、挫折を何度も味わって、なかなか見つけてもらえず、それでも諦めずアイドルになりたいと願ってくれたこと。その強い願いそのものが、アイドルという概念への肯定で、彼の注いできた年月と人生それ自体が、アイドルというものの価値を証明している。アイドルって素晴らしいものなんだ、アイドルを好きでいいんだって思わせてくれる。
 8歳からジャニーズにいて、もうすぐ27歳になるひとの、体や外見やスキルばかりでなく、思考回路や価値観や感性や人格さえも、関西ジャニーズJr.という環境によって育まれた部分はきっとあまりにも大きくて、だからそんな、良くも悪くもジャニーズとして純粋培養されてきた藤原丈一郎という存在に、アイドルに飢えていたわたしが吸い寄せられたのは、すごく自然な流れだったのだ。

 


 おそらく、わたしにとっての藤原丈一郎となにわ男子は、ただアイドルであるというだけじゃなくて、「アイドルを好きでいていいんだ」という強い肯定感を与えてくれる存在なんだと思う。
 アイドルという存在のあり方も、時代に応じてだいぶ変わってきた。昔はぱっと花開いて数年で終わるものだったのが、いまは長く続くのが普通になり、安定して誰も抜けない、なにも変わらないで居てくれる、「終わらないアイドル」こそ理想のアイドルと見做す向きも多い。
 同時に、オタクがアイドルを無遠慮に消費することへのためらいも、オタクの側に生じてきた。アイドルには心身を消耗しないでほしいと願うし、傷ついたり無理をしたりもしてほしくないし、しんどかったら休んでいいという風潮にもなってきた。それと同時に、きらきらの虚像のスターであるだけでなく、品行方正さ、人間としてのまっとうさや、時代の価値観を背負うロールモデルであることすら求められるようにもなってきた。ファンのあり方、アイドルの愛し方も多様になったし、アイドル自身も、年齢性別キャラクターの幅が広がってきた。わたしはジャニーズのアイドルが大好きだけど、事務所について思うところももちろんある(少なくとももうちょっと事務所もタレントも差別やジェンダーや多様性についての教育とかはしっかりした方がいいと思うし、国や政治家がらみのプロジェクトには絶対に関わってほしくないし、少なくとも中学生以下は上半身だけであっても脱がすべきじゃないと思うし)。
 それでも、やっぱりいまなおわたしはジャニーズのアイドルに惹かれてしまう。いろいろな矛盾や罪悪感をはらんでなお、アイドルを美しく眩しいものだと感じてしまう。
 そんなしょうもないオタクを、なにわ男子はきらきらの光で肯定してくれる。なにわちゃんたち自身も、ジャニーズが、アイドルが大好きなんだよと、まっすぐに発信してくれる。複雑な時代においてなお、ストレートな王道のアイドルを、魔法のようにこの世に顕現させてくれている。
 その魔法をこそ、わたしは心から愛しているし、ずっとずっと見ていたいのだ。

 


 そしてそんな魔法の中心にいるのが、わたしにとっては藤原丈一郎だ。光り輝く彼の生き様を、ずっと見ていたい。そのあたたかくてまぶしい光の中にわたしは居たい。世界でいちばんかわいくて、大好きなひと。だから、このひとだけがわたしの自担だ。

 


 そうして覚悟を決めたのが、8月1日。なにわを見はじめてから3週間。丈くんを好きだとはっきり自覚してから2週間。
 その日からわたしは、藤原丈一郎を自担と呼びはじめた。

 

 これがわたしの、「藤原丈一郎担当になるまでの感情の軌跡」だ。